そんな時期もありました、ドッグです。
つくづくピラミッドが好きなやつだなと思われるかもしれませんが、そのとーりです。
謎と浪漫が含まれる三角形は、この地球上の歴史を辿る大切な財産です。
世界中にピラミッドは点在しているが、以前にも書いた通り、日本にも幾つかのピラミッドが発見されます。
一応ピラミッドの定義とは、四角形などの底面の上に角錐(かくすい)形に巨石をつみあげたものらしいです(inupedia)
人間であろうとなかろうと、自然に造られたものではなく、誰かの手が加えられたらそれは作品(ピラミッド)というわけだね。
日本のピラミッド第2弾は
秋田県の十和田湖近くにある黒又山(くろまたやま)。
地元では「クロマンタ」と親しみを込めて呼ばれているこの山は、標高280メートルと高くはないが、綺麗な三角形の形が平坦な台地にあることで目立つ。
ちなみに「クロマンタ」の由来は、アイヌの言葉で神々のオアシスという意味の「クルマッタ」とされる説もある。
黒又山がピラミッドであるとされる理由は、1992年に地中レーダーなどによる調査によって判明した。
現在は土に覆われているが、表層土の下には麓から山頂まで高さ7~10メートルのテラス状の遺構が10段ほど続いていることが確認された。
階段ピラミッドの形状であり、粘土で固めて斜面を作ったとされてます。
山頂から地下10メートルのあたりには、一辺約10メートルの石室のような空間があることも分かっている。
さらに空洞内には、直方体の物体や球体の物体があることも判明。
その直方体は棺のような形状をしていて、エジプトのピラミッドの王の墓を思わせます。
黒又山の地表には約1000年前の十和田山噴火による火山灰が1~2メートル蓄積していて、階段上の構造はその下から見つかっている。
なので、少なく見積もっても1000年以上前に作られたのだろう。
山腹には赤、緑、白などの疑灰岩の破片が散らばっているため、ピラミッドの表面に張られた化粧石であった可能性も指摘されている。
黒又山の山頂付近からは数々の縄文土器が出土し、縄文時代の遺産である証として注目も浴びた。
周辺には数多くの神社もあって、東西南北や冬至、夏至の日の出や日没のラインと符合することもわかっている。
いわゆるレイラインってやつだ。
例えば、黒又山を中心に見た場合、夏至の日の出地点は駒形神社旧社、日没地点は四谷稲荷神社。
冬至の日は四角岳山頂部、日没地点は土ヶ久保(とがくぼ)神社となっている。
それと興味深いのは、黒又山の南西約2キロの位置にあるちょっと前に世界遺産に認定された「大湯環状列石」との関係。
環状列石 a.k.a.ストーンサークル
so.ピラミッドの近くには大体ある。
ここには2つの大きな列石があって、両方の中心を線で結ぶと夏至の日の出の方角を指したり、周辺の神社などもライン上に一直線を描く。
この環状列石から見ると、黒又山は北東の鬼門の位置、黒又山から見ると環状列石が裏鬼門にあたる。
歴史が浅いのであれば地元に伝承として受け継がれるが、黒又山に手を加えたのがいつなのかはよく分かってない。
当初は縄文時代である4000年前あたりと推測されていたが、実はもっと古い説が出てきている。
何故ならその後の調査によって、大湯環状列石の年代が縄文時代より遥かにさかのぼる可能性が出てきてしまったからだ。
縄文人が住み着いたのは、その後とされる。
黒又山のピラミッドが作られたのは、1万年以上前に日本にあったとされる超古代文明とリンクしていたのか。
恐らくかなり古いのだろう。
ちなみに黒又山には多くのUFO目撃情報が古くからあったり、発光現象が度々目撃されている。
皆神山と同じですね。
内部の空洞には何があるのか、地中を探ればなんかあるのか。
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