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京都市右京区にある木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)という神社には、世にも珍しい鳥居の柱が三本あるという三柱鳥居というものがあります。

通称・蚕の社です。

何となく興味があったので、この前初めて行ってきました。

住宅街を歩いていると立派な鳥居が見えてきました。

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三柱鳥居は境内の奥にあります。

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3本の柱と各方角に貫や額束などがあり、真上から見ると正三角形になっております。

中央部には石が積まれていて、閉ざされた空間、宇宙の中心を表しているのだそうです。

江戸時代には葛飾北斎の絵にも描かれてます。

Mihashiratorii
葛飾北斎画:『北斎漫画』『三柱鳥居』


普通鳥居は2本の柱と、上部でそれを結ぶ貫ぬきと鳥木により成り立っている。

神社の前に建てられ、参拝者はここを通って境内に入り、参拝をしてまた出る。

鳥居とは神様が通る門とされ、

神道にある「正中」という言葉がある通り、参道の中央は神様が通る道とされている。

しかし、三柱鳥居は3本の柱で造られていて、上から見ると三角形が形成されるものである。

それは一般的な参道、参拝者が出入りする門とは別の意味を持つものと思われる。

蚕の社は、渡来人で養蚕を日本に伝え財をなしたと言われる秦氏ゆかりの神社と言われている。

というか、ユダヤ人である秦氏が京都を作ったともいわれてます。

秦氏は古代イスラエルの失われた10支族の末裔ともいわれてますね。

ここでも日ユ同祖論が絡んできています。

京都はユダヤとの関連性が多く、太秦(うずまさ)という地名について。

Mr.都市伝説・関が言っていましたが、契約の箱:失われたアークは一説にはローマに運ばれたあと痕跡が無くなったとのこと。

そして、ダビデ王の側近に「ウザ」さんという人がいて、ウザさんが護衛してアークを運んだそうです。

そして「運ぶ」という言葉をヘブライ語で言うと「マサ」というそうです。

「ウザ」さんが「マサ」したそうです。
「ウザマサ」→「うずまさ」なんじゃないかと。

一度、ローマに運んだ後、日本の京都に運ばれたんじゃないかという話です。

シオン祭と祇園祭が同じ日に開催されたり、アークと神輿の形がそっくりなのも偶然ではないはず。

現在、三柱鳥居は全国に10か所存在しているが、どれも比較的新しく建てられたものばかりだ。

蚕の社にある三柱鳥居がそれらの原型であり、これより古い三柱鳥居は存在しない。

木島神社の由緒書きによると、この三柱鳥居は全国唯一の鳥居である、とされる。

もともとここにしか三柱鳥居は存在しなかった、ということだ。

三柱鳥居の創立年月日は不詳で、何故このような鳥居なのかもはっきり分かっていないそうです。

一説によるとキリスト教の一派の遺物ではないかとも伝えられています。

三柱鳥居が何のために作られたのか分かりませんが、なかなか雰囲気のある空間です。

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よく見ると石にはこんな文字が彫られたりもしてました。

誰でも行ける空間なので、興味ある人は出向いてみましょう。